古代日本史を賑わす七つの話題
 
                   執行役員  中埜 和男 


 日本人のルーツは何処からか?とか、邪馬台国は何処なのか?など日本の古代についてDNA解析や遺跡の発掘などによる新しい発見が続き、私も驚いたり楽しんだりしています。
そこで、私なりに古代日本史を賑わす話題から七つを取り上げてみました。


       


     古代日本史を賑わす七つの話題 (PDF)


         能に見る日本文化  
                   執行役員  柴田 孝宏 


能は、室町時代からおよそ六百五十年以上、途絶えることなく演じられてきた、日本を代表する舞台芸術である。
能、狂言を合わせて「能楽」と呼んでおり、古くは豊臣秀吉や徳川家康など多くの武将に愛され、現代ではユネスコの無形文化遺産に登録され、海外からも高く評価されている。


     能に見る日本文化 (PDF)


「フィリピン研修旅行記」 
新潟県郷友会会長 山田フヨ

フィリピンといえば、鹿児島県に行ったときフィリピンで亡くなられた兵隊さんの立派な慰霊碑を見ました。群馬県護国神社や千葉県護国神社にもフィリピンで亡くなられた兵隊さんの慰霊碑がありました。
大勢の兵隊さんが行かれたということは、それほどにフィリピンは日米にとって地理的に重要な場所だったのだろうと思いました。

         「フィリピン研修旅行記」(PDF)

      


インド(ディマプール、コヒマ、インパール)
戦跡研修および慰霊の旅
多賀城市郷友会 阿部 勝雄

 この研修ではディマプール、コヒマ、インパールと日本軍第15軍が進軍した逆方向からの研修となりました。

     「インド(ディマプール、コヒマ、インパール)の旅」(PDF)

      


    海外戦没者遺骨収集事業に参加して 
         新潟県郷友会 陸 信夫 


  「祖国の未来に殉じた、英霊を慰め、戦争を知らない私たちの未来を開く心の警鐘に」私は、約35年間の航空自衛隊勤務に続き9年間の会社勤務が終わろうとしたとき、3・11という未曽有の大災害に遭遇しました。そこで64歳の私がお役に立てることは何かと考えていたら、自衛隊人生での思いにいたりました。

     海外戦没者遺骨収集事業に参加して (本文)

       



 「人生の中で特別な旅」 北方四島相互交流参加報告 
         執行役員  中M 慶和 


 自分の意思のみで四島を訪れることはまずもって不可能であが、このたび実に多くの関係者の準備と交渉と手筈のおかげで、7月6日から10日まで2017年度第1回交流事業に参加できたことで、北方四島に関して自分がいかに不明であったかを時々刻々思い知らされ、多くを学び、漸くにして頭と心に一灯をともすことができ、人生の中で特別な旅だった。


     北方四島相互交流参加報告 (PDF)

       



ソロモン諸島研修旅行に参加して
新潟県郷友会 山田 フヨ

 海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 
          大君の邊にこそ死なめ かえりみはせじ 
 詞は万葉集にある大伴家持の歌から採られています。
神武天皇から万世一系の繋がりである天皇陛下は、日本国にとっての背骨であり日本人の愛の糸、奈良時代の歌詠みから今も変わらずに大君であります。
旅行中に宮城県郷友会Sさんのピッチで何回も「海ゆかば」を歌って覚えてしましました。
 平成28年11月5日成田空港21時05分発ニューギニア航空機で、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーに飛び、乗り継いでガダルカナル島ホニアラへ到着しました。
機中9時間、乗り継ぎ待ち5時間、時差2時間、旅行は体力と気力があってこそ動けるうちです。
行くなら今でしょうの勢いで参加しました。
余談ですが20年以上前に『パプア君』の漫画がありました。
南国で一人暮らす少年の物語で、動物の友達がたくさんいてコメディー漫画でした。
パプアニューギニアと聞いて思い出してしまいました。

       
ソロモン諸島研修旅行に参加して 本文 (PDF)

      



      「北方四島訪問記」        
           埼玉県郷友会 会長 小津光由
 

 私はこれまで永い間、一度は北方領土に赴いてロシア側から日本を眺め、その実態を踏まえ、戦後長い間、日本とロシア(ソ連)両国間の大きな「トゲ」となっているいわゆる「北方領土問題」を考えてみたいと考えていたが、今回、その訪問団に加えていただき、国後島と択捉島を訪問することができた。 
以下、北方四島の現況や訪問間に折に触れ感じたことを報告、ご紹介したいと思う。


            北方四島訪問記(一) (PDF)
            北方四島訪問記(二) (PDF)

        


                     「交流船 エトピリカ号」



パラオ研修旅行
2015年(平成27年) 2月24日〜3月1日
      栃木県郷友会  谷 武雄
    

(はじめに)
 26年度、日本郷友連盟企画のパラオ諸島研修旅行に参加した。
見、聞、感じた事の一端を記したいと思います。
『この度の海外研修旅行は、第一次世界大戦後(1922年、大正11年)に日本の委任信託統治領となった南洋群島の一つであるパラオ諸島、特にペリリュー島、アンガウル島です。
この島は大東亜戦争時の激戦地で有名です。        
 ここを守備したのは、パラオ地区集団(第14師団宇都宮)であり、特にペリリュー島では水戸歩兵第2聯隊が中心(約1万2千名、中川州男大佐指揮)となり、1944年 (昭和19年)9月15日〜11月24日までの73日間、約4万名の米軍に徹底抗戦し11月24日有名な「サクラ、サクラ」の暗号訣別無電を師団司令部(パラオ諸島の中心地コロール島)へ打ち玉砕した。

 アンガウル島では、9月17日〜10月19日の33日間、日本軍1千200名(宇都宮歩兵第59聯隊第一大隊基幹・後藤丑雄少佐指揮)が米軍2万名と戦いました。
いまだ3千柱以上のご遺骨が、この地に眠っていると見積もられ、この激戦地を訪れ、
往時を偲びご英霊に慰霊の誠を捧げる旅です。

     パラオ研修旅行 (栃木県郷友会  谷 武雄)へリンク

      



トルコのデモと民主主義 ―トルコ報告―
             執行役員 中濱 慶和 
 イスタンブールの一角の公園から
   

 今から1年半前に都市再開発計画の一環として、イスタンブール新市街の中心にあるタクシム広場周辺に歩行者専用道路を設置するために、広場に隣接するゲジ公園の600本の樹木を伐採する計画が持ち上がった。それに対してイスタンブール建築家会議所が、環境破壊を懸念して反対、政府に要望を伝えてきた。しかし要望は聞き届けられず、ついにブルドーザーがゲジ公園に投入されようとしたために、建築家会議所はメンバー100人が座り込みを始めた。2013年5月27日のことである。

     

   トルコのデモと民主主義 ―トルコ報告―



       「カンボジア軍の教育体験記」
     
          常務理事兼事務局長  中村 弘
     
一月一日(元旦)早朝、成田を離陸した航空機は、途中ベトナムのホーチミン市を経由、同日夕、カンボジアの首都プノンペン空港に到着した。
空港を一歩出るや、日本との気温差に驚くと同時に、正月とは言え真夏の蒸し暑さ、自転車、バイク、トゥクトゥク、車の洪水と雑然とした街並みがまず目に飛び込んできた。
現地における教育準備期間を含めてこれから約3か月間、教育に任ずる国を目の当たりにした時、我が国との乖離の大きさに期待と不安が瞬間的に交錯した。

      「カンボジア軍の教育体験記」はこちらをクリックしてください
            
          

   ミャンマー研修旅行記  常務理事 勝木 俊知

 平成22年10月24日から30日の間、寺島会長以下14名でミャンマー連邦(以下ミャンマーと呼称)を訪れ、大東亜戦争時のイラワジ会戦(昭和20年1月9日〜2月27日)およびメテイラー会戦(昭和20年2月28日〜3月28日)がおこなわれた戦場となった地域で、戦史の研修と戦没者の慰霊をおこなった。
 ミャンマーは約68万平方`と日本の1.8倍の面積があり、人口は約5,737万人で日本の半分である。首都はネピドーにあり、旧首都であるヤンゴンからは車で5時間程かかる。
ミャンマーは少数民族を抱える多民族国家でもあり、ビルマ族が7割を占め、ビルマ語が使われている。

      ミャンマー研修旅行記(本文)はこちら

                   在ミャンマー日本国大使館にて
    


   インドネシアの旅  常務理事 勝木 俊知

 今回の旅行(平成21年10月)の目的は、インドネシアにある大東亜戦争時の戦跡を巡り、英霊に慰霊の誠を捧げるとともに、「日本人の自信と誇りを深め」、「世界で最も親日国家の現状を観る」ことであった。
 日本の5倍の面積をもち、国内に時差のある広大なインドネシアを、わずか9日間で攻略した大東亜戦争開戦劈頭の南方作戦における日本軍の精強さや、終戦後もインドネシアに残り、その独立に力を貸した残留日本軍将兵の活躍を知る時、また現在のインドネシアの発展を観る時、まさに当時日本が掲げた「大東亜共栄圏」が形成されているのを実感する。
いろいろと問題はあろうが日本政府のインドネシア政策は戦前も戦後も間違ってはいないと思った。
 
            インドネシアの旅(本文)はこちら

                    カリバタ英雄墓地にて
    


「サイパン・テニアン島慰霊・研修旅行記」  
             運営委員  富田 稔
 平成20年8月14日、我々は、成田空港を10時過ぎに離陸し海上約2400キロメートルを3時間半程(時差1時間を加え時計上は4時間半)で飛行して15時前には島の南端にあるサイパン空港に降り立っていた。
添乗員の古沢氏の誘導で使い古されたような大型バスに乗り、西海岸の町ガラパンのホテルに向かう。チェックインを済ませ、結団式を兼ねた夕食会の時間を待った。
待ち時間に、近くのアメリカ記念公園を散策した。あちこちとプルメリアの花を拾い歩いていたら、ホテルに戻る頃には日が傾いてきた。ホテルの窓から眺めた夕焼けは、穏やかで美しい。昔から変わらないであろう常夏の暑さのなか、やや湿気を含んではいるが新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。雲の色が明るい朱色から深紅に染まっていく。ふと、戦いの中で倒れていく兵士の姿が脳裏を過ぎったような気がした。

    「サイパン・テニアン島慰霊・研修旅行記」はこちらをクリックしてください。

   


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○草原の戦跡を尋ねて(1・2・3・4) 
      
                    
                  郷友連盟 常務理事   高橋 義洋   


 平成19年度の研修は6月25日から7月2日の7泊8日でウランバートル〜ブイル湖畔〜ノモンハン戦跡、ウランバートル〜カラコルム遺跡を訪ねるものでした。

6月25日、一行はモンゴルの首都ウランバートルに到着しました。
  草原の戦跡を尋ねて(1) 

大草原を300km疾駆してノモンハンの戦跡に到着しました。
  草原の戦跡を尋ねて(2) 

実はこの後、、ハルハ河
東岸地区を含め、地点の評定には苦労しました。
  草原の戦跡を尋ねて(3) 

ノモンハン戦場跡からウランバートルへ更にハラホリン(カラコルム遺跡)に
向かいました。
  草原の戦跡を尋ねて(4) 

 

  




○北方領土ビザ無し渡航体験記 

    
            
        
       郷友連盟 常務理事   細  稔  冨田 稔

 我々は平成18年度夏の訪問団に参加しました。貴重な体験をしましたので報告します。

   

        いよいよ国後島に上陸

   

        夏草の中の日本人墓地(古釜布にて)

北方領土ビザ無し渡航体験記(上)はこちらをクリックしてください

北方領土ビザ無し渡航体験記(中)はこちらをクリックしてください


北方領土ビザ無し渡航体験記(下)はこちらをクリックしてください






○オーストラリアを訪れて 
    
    
郷友連盟 常務理事 中村 弘

平成18年度の海外研修旅行はオーストラリアでした。貴重な経験をしましたので報告します。

  

キャンベラの戦争記念館にて全員で

オーストラリアを訪れて(上)はこちらをクリックしてください

○オーストラリアを訪れて (下)

  
カウラの日本人墓地慰霊祭で寺島会長の玉串奉奠

オーストラリアを訪れて(下)はこちらをクリックしてください

○シドニーで偶然の出会い
    
連盟・海外研修でタイ国陸軍留学生と再会

平成18年度の海外研修旅行はオーストラリアでしたが6月15日、シドニー湾を見渡すサウスヘッド展望台で、八木多美子研修員が、昨年8月まで約2年間、陸自幹部学校にタイ国陸軍からの留学生(#49式幕僚課程)のホスト・ファミリーとして親交を続けたチャチャイ・ポンティホチャー中佐と偶然に邂逅した。

研修中で時間的制約もあり、わずか5分足らずという短い時間で、八木研修員はびっくりばかりで、ゆっくり話もできずただただ固い握手を交わすだけだったが、約1年ぶりに、異国の地で、人知を超えた予想もしない出会いがあるものと、寺島研修団長が二人の記念場面を撮影した。