第5・6日 フンザはやっぱり桃源郷だった 1974年まで藩王国として独立を保持してきたフンザは、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』のモデルと言われている。 私は『風の谷のナウシカ』を知らないけれど、何故か、フンザは大昔から知っており、そして今、その地に立っている。 フンザ王国の都、カリマバードのHUNZA EMBASY HOTELに泊り、この地をじっくり楽しむつもりで、私はすっかり、にわか山男になってしまった。 カリマバードの標高は2500m。 日照は酷しいが、日陰は涼しい、避暑地の雰囲気だ。 フンザを取り囲む山々。 まずは、ラカポシ(7788m)の朝日に輝く姿と昼間の姿。 次は、おでこちゃんが可愛いディラン(7257m)と、夕日に輝くゴールデン・ピーク 次に、レディー・フィンガー(小指)とフンザ・ピークそして、ウルタル(7388m)。 いつまでも、見あきない景色だった。 長谷川記念スクールを訪問 長谷川恒男さんは、著名なクライマーだったが、1991年10月ウルタル登頂を目指している時、ベースキャンプで雪崩に遭い、44歳で一生を終えた。 その遺志を継いで、奥様が寄付を募り、ウルタルの見えるこの地に学校を開き、現在では、教育スタッフや設備も充実し、パキスタン有数の学校となり、イスラマバード等からも学生が集まっているとのことだった。 夏休み中だったが、残っていた生徒が停電にも負けず、勉強をしていた。 幼稚園から専門学校まで、総合スクールにするため、施設の増設が進められていた。 いろいろな果物が食べ放題 村の中を見て回ったが、底抜けの親しみ深い人柄と、溢れる笑顔に出会った。 ホテルの隣のおっちゃんが、ちょっと小ぶりだが、甘いリンゴをくれた。 また、世話役の人がアンズの木に登って実をもいでくれた。 フンザのアンズは13〜14種類もあり、味も様々でフンザを代表する果物と言える。 この他、桃、桑の実、くるみ、アーモンド等が枝もたわわに実っていた。 春には、アンズの花で村中がピンクに輝くそうです。 アルチット村を訪門 フンザ川の対岸のナガール王国の動きを見張るお城を訪問した。 子供たちの可愛い顔にすっかり惚れ込んでしまった。 丸刈りの女の子もよく見かけた。 フンザにはかわいい子がいっぱい。 私は小さな妖精たちの虜になってしまいそうでした。 家族全員でジャガイモの収穫、そして、出荷作業。 1袋100kgで2000円くらいになるそうだが、まあいいところでしょう。 フンザの人は働き者 フンザの人は男も女も、大人も子供も皆、働き者です。 若者達がアンズの実の集荷をしている。 また、女の人も木陰でアンズの実から種を取りだし、アンズを乾燥する準備をしている。 ドライフルーツをバザールで売るという他に、フンザの長くきびしい冬のための準備をしているのだと聞いた。 フンザは砂だらけ ところで、フンザでは肥料をやらなくても、枝もたわわに実るのだそうですが、この秘密は何だろう? 確かめてはいないけれど、多分、それは水の中に含まれる砂の微粒だと思う。 フンザだけでなく、パキスタンの山は皆、ボロボロと崩れ落ちる砂山だけど、養分をたっぷり含んでいるのだと思う。 子供たちが飲む小川の水にも砂がいっぱい含まれており、道もいたる所、砂場状態です。 おじいちゃんたちも、ぶらぶらしてるけれど、孫の守りなどをしている顔が、幸せを物語っている。 バルチット城を見物 フンザの藩王(ミール)が住んでいた、バルチット城を見物した。 今は、ミールの息子は高級ホテルを経営をしているそうですが、先日の選挙では落選してしまったとのこと。 一方、このバルチット城を整備したり、地域の振興に資金を投じているイスラム教イスマイリア派の指導者アガ・ハーン4世は高い人気を得ている。 クリケットを楽しむ 村人の楽しみの一つにクリケットがある。 町や村の対抗クリケットが盛んで、女の人にはやや人気がないものの、男達は一日中楽しんでいる。 旧ナガール王国を訪問 フンザ王国と川1つ隔てた所にナガール王国があった。 フンザがイスマイリア派、ナガールがシーア派ということもあり、長い間、敵対関係にあったが、今はそんな歴史を感じささない。 フンザ川とナガール川の合流点を過ぎ、アンズの実る道を登ってナガール村を行くと人懐っこい人たちに出会った。 ホーパル氷河を見物 更に登ると標高2800mの地点でホーパル氷河に出た。 この氷河はキャペル・ピーク(6300m)から流れ出たもの。 氷河と言えば白い氷河を思い浮かるが、ホーパル氷河は、黒い砂を巻き込んでいるのだろう、真黒だ。 伝統音楽と踊りを鑑賞 さて、フンザでの観光のクライマックスはフンザの伝統音楽と踊りの鑑賞。 美女の踊りを見れると思っていたが、正直、甘かったです。 おっちゃんの踊りでした。 昔、トルコで風呂(ハマム)に体験入浴した時に贅肉モリモリのおっちゃんに洗ってもらった苦い思い出が戻って来ました。 お返しに中埜和童はフンザ川とインダス川の情景を思い浮かべて、尺八で『川の流れのように』を吹きましたが、0対0で引き分けという感じでした。 まさしく、フンザは今も桃源郷だった。 しかし、浦島太郎ではないけれど、いつまでもフンザにとどまっている事はできません。 旅を進めましょう。 前ページへ トップページへ 次ページへ |