硝煙こむる南洋にて (パラオ研修旅行記)    

     硝煙こむる南洋にて (パラオ研修旅行記)               岡山県郷友会安全保障フォーラム担当部長
                                                  小林裕彦 (岡山弁護士会所属弁護士)

                                                       
はじめに
 寺島泰三日本郷友連盟会長を団長として,平成27年2月24日から3月1日にかけて,総勢15名でパラオ研修旅行に行って参りました。岡山県郷友会からは藤原一雅理事長以下合計6名が参加致しました。

パラオにも従軍慰安婦が!
 2日目はコロール島とバベルダオブ島(本島)を訪問。
パラオは,日本の初夏のやや暑いときのような感じですが,日差しはかなり強い。空は青く澄み渡っていて,海は青いというよりも碧い。
建物は古いが,ゴミが散らばっているなどの汚い感じはあまりなく,空気もきれいで過ごしやすそうな所です。
まずは,コロール島とバベルダオブ島を結ぶ日本パラオ友好橋。日本国からの援助にて橋が建設された旨がきちんと分かりやすく書かれてありました。その後,病院跡,日本人慰霊塔,韓国人慰霊塔等を訪問しました。

 韓国人慰霊塔はパラオの議会からも見えるくらいの距離にありました。しかし,その碑文には,何と「韓国人女性はエンターテイナーとして日本軍のために働くことを強制させられた。エンターテイナーとされていた韓国人女性は約500人いた。」などといったことが英語で書かれていました。何の根拠があってこのようなことを書いているのか憤りを感じるとともに,親日国のパラオが彼の国の反日プロパガンダに汚染されないことを祈らざるを得ませんでした。

 それにしても,日本人がアジアの解放と祖国の防衛のため,原地の方々に捕虜が出ないように疎開させてまで戦った,このようないわば聖地にまで,事実無根の悪意に満ちた創作歴史の害毒をばらまく彼の国の底意地の悪さにはほとほと呆れ果てた次第。

アンガウルそしてペリリューへ
 3日目は,大変風通しのいい船でペリリュー島を通過して一路アンガウル島へ。
途中,海上保安庁巡視船あきつしま(そもそもネーミングが素晴らしい!)の雄姿も拝見。天気晴朗にして,波も緩やか。
イルカも泳いでいました。
 アンガウル島に上陸後,軽トラの荷台に揺られながら,日本軍の基地跡やアメリカ軍のM4戦車やアメリカの戦闘機の残骸や日本軍のトーチカ跡などを見学。しかし,日本人の戦没者慰霊碑は津波に流されてかなり破損していました。
政府は,こういう所にこそお金を出さないといけないのではないかとつくづく感じました。

 その後,再び乗船してアンガウル島からペリリュー島へ。
しかし,このときは波が大変荒れていて,船が大いに揺れて,しかも波しぶきを大量に浴びて大変でした。ポケットに入れていたスマホが使用不可能になるかというくらいの状態。アンガウル島からコロール島まで約50キロの海上を伝令で泳いで渡った兵隊さんの超人的な苦労を思い出して,この程度の波しぶき如きは何でもないと思ってはいたのですが,さすがに疲れてしまいました。

 そして,大東亜戦争の激戦地であるペリリュー島に上陸。
早速,日本海軍弾薬庫跡(現在は歴史資料館)を訪問しましたが,その壁には,アメリカ軍の艦砲射撃の生々しい直撃弾の跡が。
そのほか,零式戦闘機の残骸などを見学しました。乗員の御冥福を祈りながら,零式戦闘機に直に触れることができ,感無量でしたが,アンガウル島で見たアメリカ軍の戦闘機に比べて,華奢というか,如何にも日本的な繊細な感じを実感しました。

ペリリュー島にて
 4日目は,午前中,ペリリュー島の西太平洋戦没者慰霊碑で慰霊祭。
寺島団長の哀悼の辞には本当に心を打たれました。そして,全員で黙祷,「海ゆかば」を合唱。
ところで,ここで,中川州男大佐の墓碑が破損されているのに気づきました。如何なる理由か分かりませんでしたが,誰が何のためにこんなことをと思い,何とも言えないいたたまれない気持ちになりました。

                   

 その後,日本軍総司令部跡や日本軍の九五式軽戦車などを見学。
日本軍総司令部跡では,風呂や便所の跡も残っていて,当時の日本軍人の生活ぶりが偲ばれました。また,電信室のドアが頑丈だったのが印象的でした。
九五式軽戦車は,アンガウル島でアメリカのM4戦車を見ていたせいか,実物を見ると,戦車という概念に当てはまらないような非常に小さく,か弱いものでした。これではアメリカ軍との戦車戦では到底勝負にならないと思い,胸が痛みました。

                   

 そして,アメリカ軍が上陸したオレンジビーチや飛行場跡,日本軍の高射砲,中川大佐自決壕跡等を見学して,再びコロール島へ。
オレンジビーチは,かつてここがアメリカ兵の血で赤く染まったとは思われないくらい静かでのどかな海岸でした。また,日本軍の高射砲は,洞窟を利用した立派なもので,感動しました。しかし,おそらく実戦では,威力を発揮できなかったのではないかとのことでした。
だからこそ今でも残っているのかもしれません。

                   

 中川大佐自決跡では,ここで最後まで指揮を執られていたのだと思い,一同最敬礼。洞窟に入るのはさすがにためらいました。
それにしても,この洞窟にもアメリカ軍の火炎放射器で焼かれた跡が生々しく残っており,ここまでやるかという思いと,いくら戦争とはいえ,アメリカ軍の残虐さを改めて実感しました。

南洋神社跡にて
 5日目は,南洋神社跡等を訪問しました。
南洋神社跡は,社殿などがあった当時はかなり規模の大きなものであっただろうと思われました。手水鉢など当時のものがそのまま残されていました。しかし,地元の議員さんの所有地になっているとのこと。現在は,事実上訪問できますが,いつまで日本人がここを訪れることができるのかと不安になりました。その後,帰路に。

パラオの戦闘を振り返って
 ペリリュー島のオレンジビーチから空港跡までは目と鼻の先にありました。
それ故,南地区の千明大隊,西地区の富田大隊の激戦ぶりが目に浮かぶようでした。また,中部山岳地帯のジャングルの険しい山々や洞窟を見ると,中川大佐が指揮を執った大山に砂のうを楯に前進するアメリカ兵に対する日本軍の身を挺しての激戦ぶりを想起でき,思わず目頭が熱くなりました。

 パラオに限らず,太平洋島嶼での戦闘においては,アメリカ軍の海と空からの強大な火力による援護の下,戦車,機関銃,火炎放射器を駆使した攻撃に対し,日本軍は小銃と手榴弾という絶望的な戦争が繰り返されていました。かかるパラオの激戦地での戦いの戦跡を今回,目の当たりにすることができ,日本軍人の純忠なる祖国と家族を思う気持ちと勇気への感謝の気持ちがふつふつと胸にこみ上げてきました。
そのような気持ちを呼び起こしてくれたという点で,私にとっては非常に有意義な研修旅行でした。

硝煙こむる南洋にて
 日本国の再生と発展を胸に,硝煙こむる南洋に散華した英霊達は,現在の日本国を見たらどのように感じるでしょうか。
平和主義のお題目は理想としては結構なことではありますが,国際間のパワーゲームは,友好と譲歩だけでは成り立つ筈はありません。
近隣諸国に対しては,なおのこと確かな戦略に基づく是々非々の対応が肝要であることは言うまでもありません。

 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全,生存を保持しようと決意したなどといったおよそ非常識で,国民の国家への不信感を増長させ,国民の日本国への誇りを木っ端微塵に打ち砕くような前文を掲げる憲法は,押し付け憲法論やハーグ陸戦法規以前の問題として,早急に改正すべきです。

 また,国民の誇りと自信を取り戻すため,歴史的事実に基づく真の自国の歴史教育を行き渡らせる必要があります。理性が通じる諸外国を十分味方に引きつけた上で,歴史が社会科学であり,当該国家の固有のものであるという常識の下,いわゆる特亜三国に対しては,毅然とした歴史外交を展開すべきであることを今回の研修旅行で改めて強く認識した次第です。

 現地の日本人ガイドさんがおっしゃるには,最近は,「永遠の0」や「風立ちぬ」の映画などの影響で,スキューバダイビングだけではなく,パラオの戦跡を見に来る日本の若者が増えているとのことで,これは大変喜ばしいことです。
やはり,正しい歴史を若い人達に正しく伝えていかないといけない。安倍首相が,GHQがたった8日間で作り上げた「代物」と見事に喝破した憲法,私ども法律家の目から見ても,およそ裁判というものの名に全く値せず,それ自体が戦争犯罪的でもある東京裁判,そしてそれに基づく日本を永久的に戦犯国にしようとする歴史観,他国の外交的利益をそのまま見事に代弁する,およそ世界に類をみないような反日マスコミ等の害毒にさらされながらも,日本国や日本人はまだまだ捨てたものではないと思いました。
硝煙こむる南洋にて日本国のために散華された英霊達に対し,改めて慎んで哀悼の意を表したいと思います。