出雲駐屯地創設五十五周年に寄せて
         島根県郷友会 会長 松本 高治


 出雲駐屯地創設五十五周年を迎えられ、誠におめでとうございます。
 終戦後六十三年目を迎え、いまや世界は百年に一度と云われる不況の谷に入っています。政治は混乱し、経済も景気の回復が見えない状況にあります。また新聞に目を向ければ日本海ではロシア国境で境港水産カニかご漁船第三十八吉丸が拿捕され、ソマリア沖では海賊の跳梁などの問題が発生しております。

 ソマリア沖海賊対策としては、海上自衛隊の護衛艦二隻が派遣に向け準備中ですが、現地に到着するのは三月末以降になる予定であります。また、新法案での武器使用はどの程度まで許されるのか未定であり、現状では武器の使用は正当防衛、緊急避難に限られていますが、この権限は一般国民個人でも認められています。一歩ふみこんで隊員個々人はもとより、派遣部隊の安全確保のための武器使用の容認が必要ではないか等、防衛関係事項についても景気対策と同じく早めの対策を講じなければ、取り返しがつかなくなります。

 島根県郷友会が実施する英霊の顕彰及び殉職自衛隊員の慰霊行事は出雲駐屯地のご支援をうけております。そのこともあり、歴史の一端と英霊について一言ふれてみたいと思います。
 昭和二十年八月十五日大東亜戦争終結後、全国各地の忠魂碑は取り壊されました。靖国神社も焼き払う計画がありましたが、ブルーノ・ピッダー神父のマッカーサー元帥への意見具申により取止めになりました。ピッター神父はマッカーサー元帥が尊敬する人であった事も後にわかりました。我々は宗教も思想も超えた神父の行いに感謝と尊敬の誠を捧げたいと思います。「神は人の敬ひによって威を増し、人は神の徳によって運を添ふ」の言葉が理解されます。

 戦死者を特に英霊と呼ぶのは何故でしょうか。死者の霊魂を尊敬して、明治以後は戦死者の霊をこのように表現するようになりました。いわゆる戦前派、戦中派の人々は思いを護国の英霊に致し、英霊に応えることを心に期しつつ戦後の祖国復興に黙々と尽力されました。

 わが島根県郷友会は昭和三十年六月に日本戦友団体連合会として発足しました。初代会長には古藤要氏が就任、昭和三十二年三月十日に社団法人日本郷友連盟と改称し今日に至っております。以降、会長が代わり、私は七代会長今岡定雄様より申し受け八代目になります。

 こうした歴史を踏まえて、高齢化の進むなかで組織の再建を図るため執行役員の若年化、自衛隊OB組織との連携などにより会の組織を充実強化するとともに、特に国防思想の普及・英霊の顕彰及び殉職自衛隊員の慰霊・歴史及び伝統の継承助長を活動の三本柱として、これに基づき政府、議会、政党等に適時政策提言などを行い、次世代に連盟の歴史を伝承しなければならない使命があると考えています。

 どうか出雲駐屯地所在部隊におかれましても、国民と共にある団結強固な精鋭部隊を築かれ、平和国家日本に貢献されますよう期待して、お祝いの言葉といたします.
     (「出雲駐屯地創設第五十五周年記念」誌より転載。)