「幸福の国」ブータン探訪 仲崎 浜吉 旅の始まり 昨年のブータン旅行の目的は、「GNH(Gross National Happiness)総幸福量」を目標にしている「幸福の国」ブータンをこの目で見てこよう、ちょうど10月には、首都ティンプーでツェチュ(祭り)が行われるのでこの機会に是非行ってみようというものでした。 8泊9日のパック旅行の参加者は19名で、男性5名、女性14名で、夫婦ものは我々を含めて2家族で、50歳・60歳台が主力という構成でした。 参加メンバーは成田、関空、福岡からそれぞれ出発して、バンコックで合流し1泊の後、翌日ブータン国営ドュック航空のエアバスA319に乗り、途中、エベレストやカンチェンジュンガの出迎えを受け、ブータンのパロ空港に到着しました。
ブータンの紹介 ブータンはヒマラヤの麓にある王国で、広さは九州の約1.1倍、人口は約70万人の王国で初代国王の建国から100周年を経たところです。ちなみに、私の住んでいる東京都江戸川区の人口は約67万人ですので江戸川王国と対比して考えられそうです。 北は7000m級のヒマラヤ山脈を経て中国と接し、南は標高150m級の亜熱帯地域を経てインドと接しています。 首都ティンプーの標高は2400mですが、沖縄と同じ程度の北緯に位置しており、朝夕は冷えても昼間は暖かいという気候でした。 主要な町はヒマラヤの谷沿いに展開し、各町を東西に行き交うには、曲がりくねった道を通り、峠越えをして行く必要が有り、各町はそれぞれ独特の文化を持っています。国民は国王を尊敬しており、社会は安定しています。
「幸福の国」ブータン ブータンを歩いてみると人々が「幸福の国」に住んでいることを実感している様子が感じられます。この気持ちはどこから来るのだろうかと考えると、この国では教育費と、医療費が無料であり、乞食がいないということに思い当たります。 日本でも、教育費と医療費が無料になれば、もっと幸福感が増えるだろうと思います。では、どうすれば教育費と医療費を無料にできるのでしょうか?それをこれからの旅行の中で見つけて行きたいと思います。 ブータン仏教はチベット仏教から派生したもので、国民のほとんどは敬虔な仏教徒で、国の中のいたるところにマニ車があります。このマニ車を1回まわすと1回お経を読んだことになるそうです。この仏教への信頼と、国王への信頼が幸福感を支えているようです。 家の外での飲酒や喫煙は禁止されており、酔っ払いの多い日本とは一味違った社会になっています。
「美しい国」ブータン ブータンの国土の70%を占める森林は国有になっており、乱伐を禁止され緑が保全されています。川の流れは美しく水量も豊富で、殺生を禁じる考えから魚を釣ることも禁止されています。実はこの豊かな水を利用した水力発電で得られた電力をインドに輸出することによりブータンの歳入の50%がまかなわれています。ただ、地球温暖化の影響を受けて、氷河湖決壊が現実のことになってきており、プナカ・ゾン(ゾンはお城とお寺と役所の複合体)も洪水で破壊され再建されています。 ブータン人の主食は米で、日本とは違いパラパラとしたやや小粒の赤米が好みのようです。ダショー(大臣クラスの貴人)の称号を与えられた西岡京治氏やJICAの人たちの永年にわたる農業指導の成果により、野菜や果物も外貨獲得に寄与しています。黄金色に輝くブータンの実りの秋は実に美しい景色でした。
ブータンの安全保障 ブータンにも1万人の志願兵制の陸軍があります。現在、ブータンはインドとの協力関係が強く、インドも中国との国境の安全を保障するため、ブータンとの協力関係を大切にしています。昨年の第5代国王の戴冠式にもパティル大統領が参加しています。ブータンは中国とは国交を開いていない状況です。写真の廃墟のゾンは1644年に侵入してきたチベット軍に勝利した記念に作られたものですが、その後、火災により廃墟になったものです。 1864年にはインドを植民地にしていたイギリスと戦争を行い敗北しています。現在の国王ワンチュク家が建国した1907年以降も、1964年には首相暗殺があり、また、1990年代には、国内南部におけるネパール系住民の反政府運動掃討作戦でも多くの犠牲者が出ています。実は、ブータンと言えば思い出す「どてら」姿の男性用のゴや、女性用のキラの着用規定や、ブータン様式の建物規定などもブータンがアイデンティティーを確立して国家としての安全保障をしようとする一環のようです。
ツェチュを見て さて、ここで旅の目的であるツェチュに話題を移して見ましょう。 当初、ツェチュは「お祭り」だという程度の認識でしたが、実は町ごとに開催されて、学校も会社もお寺も休みになる日本の「お正月」のような地域の人たちにとって重要な「お祭り」でした。 ワンデュ・ポダンのツェチュは、やや田舎のゾンでの素朴なお祭りでした。正面の大きな絵はトンドルと呼ばれ、1週間続くツェチュのクライマックスの早朝に吊るされて、日の出とともにしまわれるものです。トンドルを前にして僧侶の読経が続きます。この後、仏教の地獄極楽の説話をもとにした踊りと、7世紀にブータンに仏教を伝えたグル・リンポチェ(パドマサンババ)の徳を称える踊りが延々と続きます。村人たちはそれぞれ盛装をして繰り広げられる踊りを楽しんでいます。 翌日は首都ティンプーのツェチュを見に行きました。ティンプーは人口4万人で、世界で唯一、空港と交通信号のない首都と言われていますが、王家の宮殿も国会議事堂もある立派な町でした。写真でご覧のようにスゴい人出です。一昨年までは正面のタシチョ・ゾンの中で行われていたそうですが、多くの人たちが見れるように新たに施設を作ったそうです。ここでも仏教の地獄極楽の説話を基にした踊りと、パドマサンババの徳を称える踊りが延々と続きます。ティンプーの人たちもゴやキラの晴れ着で着飾っており、ワンデュ・ポダンよりファッション性を感じます。 善男善女が延々と列を作ってお布施をし、高僧の祝福を受けている風景がツェチュの期間中ずっと途絶えることなく続いていることには感動しました。ブータンの国民の信心深さが伝わってきました。
家族・子供・社会 ツェチュのお祭り期間中だったことにもよるでしょうが、ブータンの人々はとても陽気で、心優しいと感じました。学校では国語の時間にはゾンカ語を習いますが、その他は英語で学習します。私たちにも子供たちが上手な英語で話しかけて来るし、写真を撮らせてもらおうとすると喜んで撮らせてくれました。これはダショー西岡などの貢献のおかげで、ブータン人は日本びいきのせいだったのかも知れません。この国では大家族が一家そろって生活するのが普通で、進学などで家を離れてもツェチュには一家がそろうという生活がまだ残っています。 子沢山の家庭からは僧侶の道に進むケースが多く、ブータンの僧侶は結婚できませんが、生活は保証されて努力に応じて高僧になることができ、一般社会にとって仏教が身近な存在になっています。また、死後も輪廻転生するという思想が深く浸透しているため、この国の人々は大変穏やかな生活をしています。
ブータンのこれから 第4代ジグメ・シンゲ・ワンチュク国王は1972年に16歳で即位して以来、さまざまな改革を行い、2006年に50歳でジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクに譲位をしました。近年の普通選挙の実施、民選による初代ジグメ・ティンレー首相の選任、憲法の制定による立憲君主制への移行や、インターネット、テレビ、カラオケの普及、第1回美人コンテストの実施など近代化プログラムが着々と実行されています。 旅人の目からは、ティンプーの下水の汚れや、自動車の増加による交通渋滞や、子供たちが拝金主義に汚染されないかなどと心配事も多い訳ですが、ジグメ・ティンレー首相は「近代化は望むが、西洋化は望まない」「近代化を急がない」という理念に基づいた政治を行うようですので、期待を持って見守って行きたいと思っています。
旅の終わりに ブータンを立つ朝、パロ周辺は一面の雲海で、山々にも雪が降りました。その雲海も朝日とともに晴れ渡り、再びエアバスA319機でパロ空港を出発し、ヒマラヤの山々の見送りを受けてブータン探訪を終えました。ブータンがいつまでも「幸福の国」であり続けることを祈りながら。
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