「仁」「仁慈」「仁義」について


 最近の我国の社会現象で、他人に対する思いやりや優しさに欠けた独りよがりの言動に基づくトラブルや犯罪等が急増している事に心を痛める日本国民は少なくないと思う。
「仁慈」「仁義に篤い人」「医は仁術」等の言葉は死語に近い。
そこで徳目育成の集大成が仁徳であるとの前提で表記について考察した。

仁とは

 対人関係において博愛と福利の理想を達成することであり、義を仁と同等視して[仁義の道]を説くこともあり、社会性を重視するものともいえる。
日本においては、清和天皇以降の歴代天皇が、お名前にこの[仁]を多く用い、天皇家の重要な徳目の一つとみなされてきた。

仁慈とは

 「深い愛情と恵み」とされ特に軍人(武士)は、生殺与奪の実力を有し、その実力の使用に際しては、最高の徳とされる「仁」(仁慈)が強く求められるものであり、最高の慈愛と義の保有者であるべきである。

仁義とは

 仁は、統治者に特に求められるものとされているが、義は身分に関わり無く全ての人間に求められるものであり、従って仁義は仁の基盤であり、義の無いところに仁は存在せず。

最高の徳目「仁」の内容について

* 愛、寛容、同情、憐憫を含む人の心で古来最高の徳目である。
* 統治者の最高の必要条件であり、愛が必須。
* 東洋では親子兄弟の親愛感に発す。
* 相手を哀れみ、いたわりあう愛である。
* 真の愛は自己犠牲により達成される。
* 真の「リーダーシップ」のあるべき姿。
* 惻隠の情=世界最高に深遠な人間精神を反映

 仁が思いやりを生み「しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙譲・慇懃(親切)の心は礼の根本をなす」ことになり、「仁」の裏打ちには必ず「礼」があるということになる。

孝は百行の基にして倫理の本源なり

 仁が最高の徳といわれる所以は、「礼」を初めとする多くの徳(倫理)の裏打ちにあるがこれらの徳の本源は百行の基といわれる「孝」にあり。
『孝とは子が愛敬至誠の心を以って親につかふるをいひ、理屈にあらず感情なり。』

 杉浦重剛氏は「我が国民は孝の意を拡充して他に及ぼし、世界無比の国民性を発揮せり」といわれたが、今日の日本は親子間の殺傷事件が日常茶飯事の如くであり、将に孝道が地に落ち、倫理の本源が瓦解していると言わざるを得ない。
この原因は仁なき統治者の下での孝道知らず(教えられない)の国民にあるといえる。
喫緊の孝道の復活が必須である。

 「上仁を好みて、下義を好まざるは未だ有らざるなり」といわれるように統治者の仁慈は万民に及ぶものであるが、逆に仁慈なき統治者の下では組織の活力は減退し弱体化する。
不幸にして我国の現状はこの後者のように国力が弱体しつつある。
この我国の国力弱体化傾向に歯止めを掛けるためには先ず国家存亡の危機には勇気があり英雄ともなれるが、平時は柔和で慈悲深い最高指揮官の現出が待たれるとともに各界各レベルで真の「仁慈」の育成が必要である。
そのためにも今こそ社会総がかりで、家族愛に思いを致し、親孝行を身に付けさせる時である。